1963年、5つの市が合併して生まれた北九州市。福岡県で最も広い面積を誇り、その人口は約97万人を擁します。北九州市の誕生前から「ユア・ショップ大平」は、この地域で店舗を開いて営業していました。
お客様のための店として出発。成功の鍵は、大工さんとの深い絆
もともとは鉄工所に勤務していた創業者で会長の大平修三。ところが勤めていた鉄工所の経営状態があまり良くなく、生活していくのが厳しかった。そこで、鋸の目立てをされていた兄を手伝うようになったのが、この業界に入ったきっかけでした。
「兄のもとで目立ての見習いを2年ほどやりました。当時は、卓上丸のこもなく、どんなに腕の立つ棟梁でも、鋸がまっすぐ引けないと良い仕事はできません。目立ての仕事が重宝された時代でした」。そして1961年、お店を出しました。「自分にできることはお客様に奉仕すること」との思いから、「あなたの店です」と強調するために、店讀名を「ユア ・ショップ」と名付けました。会長の目立ての腕を見込んだ大工さんたちが店に足を運びます。
しかし創業当時は「うちで買った商品しか目立てはしない」という商売をされていたそうです。「当時はずいぶん頑固な商売人だったと思います。でもその時にできた関係が、現在の商売につながっています」。大工さんたちと深い絆を作ったことが、商売成功の鍵になったと思います。
いかに満足していただくか、強みは従業員の豊富な知識
「ユア・ショップ大平」の商売方法は少し独特です。売り掛けのお客様には遠慮していただき、現金払いのお客様、のみに商品を販売。集金や営業、配達には行きません。同業他社は なぜ商売が成り立っているのか不思議に思っているようです。「昔は売り掛けが主流でしたが、創業当時は資金がなかったので、現金商売をしていました。その代わり、少し安く商品を提供していたのです。その頃は建築業界の景気も良かったから、うまくいきました。私はお金にルーズなのは好きではないので、問屋さんにもきちんと支払い信用がある。だから仕入れも安くしてもらっているんですね。その分、お客様に還元しています。
若い頃は自分のことばかり考えていたという会長ですが、従業員を雇い、責任感が生まれ、今では地域のことも展望されるように。「同業他社3社と、この地区をどうやって盛り上げていくか、話し合うこともあるんです。私たちの間では、この会議を北九州サミットと呼んでいます」。同地区のお客様や販売店の質が高いと言われる理由は、こうした取り組みの影響もあるのでしょう。
北九州市に八幡店、小倉店、三ヶ森店の3店舗を展開。店売りを主体にしているため、お客様が来店しやすい立地にお店を出しています。PR活動や展示会などは、各店舗の店長の判断で実施されています。
会長はお客様を増やすことより、今のお客様に、いかに満足してもらえるかを考えなさいと、スタッフには言っています。またベテランスタッフの豊富な商品知識も、同社の強みのひとつ。「うちの従業員はみんな長く勤めており、商品知識やスキルがある。修理も自社でできるので、あまりメーカー修理には出しません」。製品の複雑化とともに修理はメー カー に任せるという販売店が増えている中で、特筆すべきことではないでしょうか。こうした技術力の高さは独自の製品を販売していたことからきています。「昔は電動工具の設計もそれほど複雑ではなかったので、自分で製品を設計して、鉄工所で制作。そして店舗で販売をしていました。自社で作った製品のアイデアを、当時の日立工機の九州支店に話して、製品化してもらったこともあります。後に、社長から直筆の感謝状と記念品の腕時計をいただきました」と懐かしそうに会長は話しています。
地域に根ざした営業活動で、お客様から頼りにされるお店へ
今後、販売店が大きく伸びることもないので、大型店に対抗するよりも、小売店の良さを活かして、お客様の満足度をいかに高めるかが課題だと思います。
弊社の従業員は商品知識が豊富なので、お客様のアドバイザーとして商品を提案できるのが強みです。
これからもお客様に頼りにされるお店として、努力していきます。